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1981年ツール・ド・フランスの第17ステージ、ラルプ・デュエズを征した、和製ロードレーサーの伝説

日本で初めて自転車を工場生産したMIYATAは、ずっとスチールフレームを作り続けてきました。その技術は海外でも評価され、70年代後半にはスポーツバイクの本場アメリカ、ヨーロッパへ高級フレームと完成車を輸出。
とりわけヨーロッパで高級車メーカーとして名高いオランダKOGA社にもクロモリフレームを供給することになりました。
1980年にはツール・ド・フランスでCAPRISONNE-KOGAmiyataが、MADE by MIYATAのロードフレームを使用。翌年のツールではチームのエース、ピーター・ビネン(Peter Winnen) が山岳レースの第17ステージ(Morzine - L‘Alpe d’Huez)にて区間優勝を果たしました。彼はその勢いで全行程を完走し総合5位、栄光のマイヨ・ブラン(新人賞)※を獲得するほどの活躍を遂げました。まさに自転車の本場、ヨーロッパでMIYATAがブランドとして認められた瞬間でした。

※マイヨ・ブラン/maillot blanc(新人賞)
「ツール・ド・フランス」のレースに参加する選手の中で、個人成績総合時間が最も少ない若手選手( 25歳以下)が着用することのできるジャージのこと。白い(blanc)ジャージであることから、その名が付いた。

独走は、独創から生まれる。

ピーター・ビネン(Peter Winnen)の勝利を支えたフレームは、ただのクロモリフレームではありませんでした。MIYATA独自開発、オリジナルバテットチューブ。そのチューブがさらに進化を遂げ、1984年日本の繊細な技術によりSSTB(スパイラル・スプライン・トリプル・バテット)チューブとしてクロモリチューブの究極へと結実しました。
さらに伝説は進化する。ヒルクライム用に設計された「Elevation Extreme」では、MIYATA新開発のS.S.T.B. NIOBIUMチューブを投入。チューブの内側に螺旋状の補強リブを施し、軽量化に加え従来比30%以上の強度向上を実現している。
その結果、スティールバイクとしては世界最軽量の完成車重量6.54sを実現。
単なるノスタルジーに終わらない、戦うためのバイクがここにあります。

※ 当社調べ